RADWIMPS。
桑原の脱退。
ショックだった。
高校の頃から自分の中に当たり前に存在していたバンドが。
当時から、圧倒的なクオリティーで突き抜けていて。
今でも昨日の事のように思い出すYHMFの横浜アリーナ。
友達と皆で駆けつけたガラガラの横アリの最前列。
野田も桑原も当時のメンバーも。
皆が楽しそうにはしゃいで、ジャンプして、叫んで。
それと同時に俺たちも飛んで、はしゃいで、叫んで。
当時、同じ高校生ながら。
「RADWIMPS」という凄まじいバンドの未来を見た気がしてた。
遅かれ早かれ世の中があんな怪物バンドを見逃す訳はなくて。
メジャーデビュー曲の「25個目の染色体」が。
当時俺が働いていたサロンのBGMとして、有線から流れてきた時。
心の底から嬉しかった。
そこからみるみる成長して、
名実ともに圧倒的なバンドになって。
ある意味。
あの時「RADは絶対凄いバンドになる」
って仲間達と言ってた未来を。
軽々超えていったあなたたちが。
勝手に誇らしく思い、少しだけ嫉妬をして。
どこかで羨ましく思っていました。
桑原の家で夜通し一緒にギターを弾いたこと。
活動休止前のセン南の中央公園で聞いた桑原の言葉。
「俺は野田と一緒にバンドがやりたい」
あの言葉、今でも覚えてる。
心のどこかで。
桑原、ここまで野田と一緒にバンドを続けられて。
あの時、自分の決断を信じて良かったねって。
いつも思ってた。
あの日から25年。
こんな日が来るなんて思ってなかった。
ショックだった。
寂しかった。
悲しかった。
でも。
メンバー皆で出した決断。
尊重したい。
でも。
やっぱ悲しいし、切ない。
ファーストアルバムを聴くたびに。
あの時を思い出す。
野田が書いた詩が。
まるで桑原に歌ってるように聞こえてくる。
タイプは真逆で。
性格も違くて。
圧倒的なフロントマンである野田。
あの声を、
あの天才的カリスマを支える桑原のギターの音が好きだった。
昔から大好きだった。
RADにも、桑原にも。
この先も頑張ってほしい。
音楽を続けてほしい。
本当にありがとう。
某友達の家で。
オアシスを歌う野田の声に合わせて。
隣でギターを弾いていた桑原の楽しそうな顔。
今も忘れられません。
「もしも」あの時が戻るなら。
もう一度聞いていたい。
お前らの「もしも」が聴きたい。
本当に最高だった。
ありがとう。
最高の青春をありがとう。
あの頃のRADWIMPSに出会えて本当に幸せでした。
今後もそれぞれの道で活躍してくれる事を願ってる。
遠くから、陰ながら。
応援してます。
本当にありがとう。
桑原、お疲れ様。
野田、さらに突き抜けて下さい。
VIVA!! freedom!!